05/18/2007

destiny④~男の勲章かマヌケな代償か~

久しぶりに昔の話を書きます。僕の左上腕部には10cmくらいの傷(縫い跡)があります。僕の生徒さんや知り合いも、この傷には気付いているハズですが「その傷どうしたの?」なんて聞きづらいですよネ。

これは腕相撲での苦い思い出なのです。10年少々前、ジムでトレーニングしていたら、顔見知りから「腕相撲やらないか?」と挑戦されました。その人は温厚な方で、その日に限ってなぜ、そんな挑発めいたことをしたのか?いまだに不明ですが、当時の自分からしたら、その方は同じボディビル大会にも出場したことがあり、僕より少し年上だったので、「これは絶対負けられない!」と、つまらぬライバル心を燃やしてしまったのです(笑) もしかしたら、その方は腕相撲を通じて僕と親睦を深めようと、好意で誘って下さったのかもしれませんが・・・・

僕も相手もほぼ同じ体格で(当時80kg上腕40cm位)、始まってみると、接戦で中々勝負がつきません。しかし僕の執念が上回り、徐々に僕が有利に体制になりました。あと少しで相手の手の甲が台につく瞬間、「トドメだーー」と全身の力を振り絞った時に、野球のバットが折れるような音がして、腕の感覚が無くなりました・・・・・・・腕相撲には勝ったものの、自分の腕を骨折するという代償を負いました。

折れた部分をボルトで固定して3ヶ月ギブス。一年後にボルトを抜くため再度手術。あれから10年以上経ちます、日常生活には差し支えありませんが、ベンチプレス・ショルダープレス・ディップスなど肘に大きな負荷をかけるエクササイズは、かなり制限されます。正直に言えば、ボディビルの選手生活はあの時点で絶たれたも同然ですが、現在もマイペースでマスターズ・コンテストなどに出場できるのは本当に幸せです。

怪我をしたのが自分で、ある意味、不幸中の幸いでした。もし逆に、相手に怪我をさせて、相手の選手生命を奪っていたら、一生良心の呵責を感じながら生きることになると思います。自分の腕が不自由になって、高齢者とか障害者とか弱者のことも多少は理解できるようになったかな?・・・ ボディビルと出合ったのも運命なら、あの怪我も運命だったと思う他ありません。

格闘技やボディビルなどやっている皆さんは、向こう見ずなバカから挑戦されることが時々あると思います。何の世界でも、ある程度のレベルまでその道を掘り下げた人は、むやみに人を挑発したり、人の考えや方法論を頭ごなしに否定したりはしません。でも、自分にこだわりのある分野で挑戦されたりすると、自分なりの自尊心もあるから、そういう状況でどう対処するか?は中々難しい問題ですよね(笑)

今考えると10年前、わざと負けて先輩の顔を立てるなり、大人の対応ができればよかったなあ、と思います。現在は、もうジジイなので問題ないのですが(笑)、有望で才能ある若者が同様なことで、つまらない怪我などしないように願うばかりです(^^)   長くなってスイマセン

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01/27/2007

destiny③ ~北村さん~

久しぶりに昔の話を書きます。最近はネットやビデオ・DVDなどが普及して、有名選手の練習法や食事などの情報が世界中に伝播していますが、僕がトレーニングを始めた85年頃は、一人暮らしの大学生はビデオデッキですら中々持ってない時代でした。そのため、憧れの選手がどんなトレーニングや食事をしているか?いつも話題の中心でした。

当時、学生ボディビル界で知らぬ者のない有名選手がいました。北村克己さん(マッスル北村)といって、東京都や関東のボディビル選手権でトップクラスの筋肉で、東大の理科何類かに通っていたが医者を志すため東京医科歯科大に再入学したという頭脳、その上、真田広之のような甘いマスクという、知力・体力・二枚目と3拍子兼ね備えた人で、当時、ボディビルをやっている学生はほとんど例外なく北村さんに憧れておりました。テニス部の女の子達が、美しくて上品でトップ選手のお蝶夫人に憧れていたようなものでしょうか(古っ)

元東大生だから、食事やトレーニング法もさぞかし科学的に違いないと思っていたのですが、北村さんと交流のある人達から北村さんの食事&トレーニング法を聞いて唖然としました。<牛乳1日2リットル 卵1日1パック 1kg袋のプロテインは1週間程度で消費 その上消化吸収を高めるためエビオスや強力わかもと等の消化剤を飲んでいる 朝からジムに来て午前中ずっとラットマシンを引いていた 荻窪エグザスに置いてあるバーベルセットは北村さんの私物で、石神井の自宅から百数十キロのバーベルセットを担いで持って来た(担いで、ってのは誇張かもしれませんが)  などなど> 入門書などに書かれている基本とはあまりにも、かけ離れた内容で、何でも教科書どおりに小さく構えていてはダメなんだと衝撃でしたね。もちろん、こんな食事は、20代で若く、もの凄いトレーニングをしているからこそで、普通の人が真似したらカラダを壊してしまうワケですが・・・

85年の東京都ボディビル大会の会場で一度だけ、北村さん本人を目の前で見ました。筋肉を少しでも膨張させて見せるため、ほとんどの選手はコンテストの舞台裏で必死に腕立臥せなどしているのですが、北村さんは一人だけ部屋の隅に寝転がっているのです。出番が近づいたら起き上がって鏡の前で髪の毛を整えて、そのまま舞台へ。で、優勝(笑)  とにかく、北村さん、型破りで凄い人でした。

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12/08/2006

destiny ②

(11月22日のブログの続き) 大学の体育館のトレーニング場でウエイト・トレーニングと出会った僕でしたが、ボディビル部などには所属していなかったため、教えてくれる人がいないのが問題でした。ウエイト・トレーニングの入門書や雑誌「月刊ボディビルディング」などを参考にトレーニングしていましたが、やはり書物からスポーツを学ぶのは限度があります。そこで、1年生の期末試験が終わり春休みに入った頃から、フィットネスクラブでアルバイトをしよう! と思い立ったのです。フィットネスクラブに行けば専門のコーチがいるハズだし、小遣い稼ぎも出来れば一石二鳥と思ったのです。

当時、映画「フラッシュダンス」などがヒットして、ジャズダンスやエアロビクスなど「フィットネス」がブームになりつつあり、都内でもフィットネスクラブが出来始めた頃でした。幸い、渋谷に出来たフィットネスクラブで採用してもらえることになり、それが、フィットネスの世界に足を踏み入れた第一歩でした。やはり、予想した通り、そこにはウエイト・トレーニングや格闘技に精通したコーチが何人もいて、トレーニングについて手取り足取り教えていただきました。彼らは、勤務先のジムでトレーニングする以外に、他のジムでもトレーニングしたりしていたので、よく一緒に付いて行きました。当事は、何も知りませんでしたが、今になって思うと、その頃出入りしていたのが、東京でも、もっとも熱気があって、有名選手の集まるジムだったのです。自分がスゴク恵まれた環境にいたことに本当に感謝です。

よく行ったのは西武鉄道が経営する高田馬場「BIG BOX」  それと、渋谷のボディビルジム「ユニコーン」  ここは当時、日本のトップクラスのボディビル選手が何人も在籍していて、雰囲気も和気藹々としていて、ここが気に入った僕は早速、入会しました。 そんなわけで、フィットネスクラブでアルバイト、仕事の後はボディビル・ジムでトレーニングという夢のような生活がしばらく続き、春休みが開けても、学業は、ほとんど放棄したも同然でした(笑)

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11/27/2006

having no limitation

today is 66th birthday of Bruce Lee, if he were still alive he is 66 years old this year,  the reason i admire Bruce is ......  of course his physique & martial arts is great, besides he was a man of forward looking & positive thinking.    famouse his word is ....  willing is not enough , we must do       knowing is not enough , we must apply.          using no way as way,   having no limitation as limitation.      今日、11月27日は、僕の敬愛するブルース・リーの誕生日(生きていれば今年で66)  どうしてブルース・リーが好きかというと、もちろん最初は、あのスゴイ筋肉や華麗な武術に憧れていたのですが、伝記を読んで、彼の生き方や考え方にも多大なインスピレーションを受けたのです。ブルース・リーは1958年頃~70年頃迄アメリカで暮らしていましたが、東洋人であるということで人種差別を受け、才能が正当に評価されることは稀だったようです。アメリカに失望して、71年頃に故郷の香港に戻ると、地元では「外国かぶれ」みたいに扱われて、最初は受け入れてもらえなかった。心安らぐ場所がない、というのはどんなに屈強な肉体と精神の持ち主でもスゴイ苦悩だと思いますが、常に物事を前向きにポジティブに考える事で、困難を克服して、格闘技映画という新しいジャンルを作り出し、ジークンドーという総合格闘技を創り出し、伝説の人になった。そんな生き方を尊敬します。世界中の人々が彼の偉大さに気付いた時には、既に、この世の人ではなかった、というのは何とも皮肉な結末ですが・・・・   彼の有名な言葉に、using no way as way ,having no limitation as limitation  というのがあります。 直訳すると、「方法の無い方法を用い、無限を限界とする」となります。格闘技やトレーニングに限らず、固定観念にとらわれないで、柔軟な考えや方法で、前向きに生きる、という意味だと思います。

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11/22/2006

destiny

初めてウエイト・トレーニングを体験したのは1984年、大学1年の時です。アパートの隣の部屋に住んでいる人が同じ大学の少林寺拳法部の3年生でした。僕は小学生の時、ブルース・リーの影響で少林寺拳法を習っていたので、隣部屋の先輩から「体験入部においでよ」と誘って頂き、翌日さっそく練習に参加しました。道場での練習の後は体育館のトレーニングルームで筋トレ。それまで、「筋トレ」=「かったるい」もの、というイメージがありましたが、おだて上手な先輩の優しい指導もあり、すごく楽しかったのです。少林寺3年・柔道2.5年の経験がありましたが、筋トレがこんなにも心地良いものだという感覚は、それまで経験したことのないものでした。

希望の大学には、ことごとく不合格で、「すべり止め」大学へ入学した状況だったため、先の生活にもあまり希望がなかったのですが、不思議なことに「このトレーニングで自分の肉体が変革を始め、道が開ける、ブルース・リーみたいな肉体にも近づけるかもしれない」という予感&確信が沸いてきて、希望がみなぎってきたのです。今思えば、トレーニングにより脳内でエンドルフィンが分泌して、高揚感を感じて「ハイ」な状態になっていたせいもあると思いますが、あれが運命だったのでしょう。先輩には申し訳ないですが、少林寺には入部せず、翌日からトレーニング・ルームに通う日々が始まりました。 どちらかというと内向的な性格だった僕ですが、時々は、授業で知り合った仲間をトレーニングに誘ったり、2学期目の頃には、バイト先で知り合った他大学の友人まで連れて行ったりして、ウエイト・トレーニングのおかげで友人の輪も広がって行きました。  ~to be continued~

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