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04/10/2019

研究と生活の糧の問題  Diary April 10th 2019

I'll write today's post in Japanese language, because, the reference article for today's topic is a news in Japan.
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190410-00000009-asahi-soci

ヤフーで上記のニュースをみて、自分なりに思うところがあったので、今日はそれについて書きます。国内のニュースなので日本語で書きます。

高度な技術や知識、経験などを持つ専門家に対する報酬や人件費、評価という点で、日本はおかしな部分がありますよね。僕の知る限りではアメリカなどでは、4年生大学卒の人と大学院卒の人だと、給料や年棒にかなり差が出るようです。もちろん、分野や職業、会社にもよるでしょうが、4年制大学卒の人の初任給が日本円相当で年棒400万円前後としたら、院卒・修士だと初任給600万円前後、博士号を取得している人だと更に評価が上がって、年棒700-800万前後、あるいはそれ以上。ここに書いた金額はあくまで例えで、実際には、他の諸条件により 個人個人かなり差があるのかもしれませんが、ここで何を言いたいかというと、取得している学位レベルで、賃金や報酬にかなりの差がでる可能性が高い場合が多いということ。つまり、何の分野でもその道の専門家には、その人のレベルに応じて、それなりの評価と報酬が与えられるべきである、というのが前提条件のシステムです。

日本だと、企業や公共機関等で働く場合、4年制大学卒の初任給が、例えば月給20万円としたら、院卒・修士で月給21万円位、博士号取得者でもそんなに変わらない、プラス数千円くらいだったりすることが多いのではないでしょうか。研究開発職などは、もう少し差が出るのかもしれませんが。上の金額はあくまで例として、つまり、日本では、学士、修士、博士で、賃金に極端な差が出ることは少ないということ。「日本は学歴社会だ」ということをいう人もいますが、学歴や学位レベルで賃金に大きな差が出ないという意味では、全然、学歴社会ではないと思います。欧米の方がよっぽど学歴社会だと思います。

僕の場合は、フリーランスのフィットネス指導員をしているので、学歴や資格等がレッスン料等の金銭的対価に反映されることは、これまではほとんどありません。米国の大学院を修了してから、あるいは、ACSM やNSCA, Wellcoachなどの新資格を日本でいち早く取得しても、契約させていただいている施設からのレッスン料が上がったことはありません。「おかげさまで、学業を修了しました」とか「アメリカの団体の新資格を日本で最初に合格しました」などと自分から報告した場合、「頑張っていますね」と評価して下さる方もいますが、相手と場合によっては「いきなりそんなこと言われても、こちらも対応に困ります」とか「そんな資格聞いたことないので、わからない」という反応だったり、「自慢しているんだろう」と思われてしまい、自分の印象を逆に悪くしてしまったり、お世話になっている職場の雰囲気や人間関係に影響が出てしまう可能性もあります。

つまり、現在の自分自身にとっては、フィットネス関連や語学の勉強などは、あくまで自己研鑽や生涯学習と言うか、生き甲斐というか、そういった位置づけであり、客観的な評価や考課がされて報酬に反映されるわけではありません。
このように、細かいことを言えば色々ありますが、自分で選んだ生き方ですし、現在自分が置かれている環境や周りの人達には感謝しています。不満や問題点があれば、更に努力するなり、周囲の人達の理解を得るような方法を考えて自力で改善するしかありません。

僕と仲良くしてくれたアメリカのクラスメートとのやりとりを通して感じたことは、大学院に来る人は、自分の興味のある分野を納得いくまで追求したい、という良くも悪くもオタク気質の人が多く、その中でも特に勉強熱心な人達は、ちょっと大袈裟に例えるなら、アスペルガー症候群とか強迫性神経症などに近い部分が少なからずあるように思います。しかし皮肉なことに、それくらい執着心が強く、良い意味で粘着気質でなければ、ものごとを深く追及できない、という側面もあります。つまり、病的なまでの神経質さや根気というか執拗さ、常識からは逸脱して、フツーの人とは違ったユニークな考え方ができることなどが、研究者としての成功要素だったりするわけですが、このような人は、何でも平均的であることを良しとする日本的な価値観や視点から見ると、変わり者、変人、気難しい人、ように見えたりするかもしれません。

今回のニュースで取り上げられている方も、収入が少ないのは多少我慢してでも、自分の専門分野を追及したかったのだと思います。また、自分の研究成果を何らかの形で世の中に還元することで、人様のお役に立ち、それで、自分の生活が成り立てば、と願っていたのだと思います。でも、この方の場合は、それを正当に評価してくれる人が、ごく限られていた、というか、周囲の人達の多くが、この方の研究の意義や熱意に気が付かなかったのだと思います。

自分の専門分野を追求し、自分の勉強や訓練の成果をいかにアピールするか、なおかつ、周囲や社会との調和を乱さずに相互理解、それらを通じて生活の糧の確保、などなど、なかなか難しい問題だと思います。亡くなった方のご冥福をお祈りします。

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